写真に関係する業務全般、インディーズレーベル「HAMANAMI』の運営、音楽家活動・イベント企画、記者、写真教室、Pro技術が必要な撮影現場。Facebook、Direct Messageで, 気軽にお問い合わせください。

2017年8月19日土曜日

“2人のサムライ”「あれ」を一刀両断にする尺八@Toba “Acoustcal”

 
シェア 
LINEで送る

「全てを捨てる覚悟がお前にあるのか!
この書は彼の友人たちからの贈り物一つ。作家、書道家「伊藤潤一」。
尺八奏者、竹内 洋司。(たけうち ひろし 通称「侍」と呼ばれる。)彼は、この書を自分の部屋に飾り、日々尺八の練習をしている。

尺八の響きはその日の天候によって変わると言う。
彼と出会ったのは4年前、当時まだ未熟でしたと言う尺八を持ち、彼は宇治山田の路上に来ていた。人との繋がりは宝物だと言う人がいるが、彼にとっても例外ではない。なぜそう言えるのか、彼がその答えを教えてくれる。

この赤いTシャツは、2016年のacoustcalでMVP をとった時のもの。
その前に、紹介したい尺八奏者がいる。新田みかん彼の活躍はよくメディアで耳にする。その演奏スタイルは、自由に様々なジャンルの音楽とコラボしていく事だ。

新田みかんを、竹内は出会う前から良く知っていた。竹内にとって、目指す演奏スタイルがそこにあったからだ。そして竹内は、自分の目指す先にいる彼の存在に、妬みを持っていた。

ACOUSTCAL
演奏されるキーによって使い分ける尺八。
7年前、鳥羽の港に港湾センターと言う施設があった。耐震性や港の拡張工事に伴い、取り壊しと決まった時、最後のはなむけにたくさんのミュージシャンが集い、音楽で最後を飾った。その時、私は彼と出会っていた。
当時集まったメンバーが中心となり、心ある音楽フェスが引き継がれている。三年前その音楽イベントに、新田みかんと竹内洋司が共演した。それがきっかけで彼は変化していった。

どの尺八にもそれぞれのストーリーがあると話す。
プロの尺八奏者を目指す竹内が、その時言った言葉を忘れない。



 続きは→ http://otonamie.jp/?p=37409

2017年1月25日水曜日


“復活する幻のグーフィー!” 第2テトラを撤去@国府ノ浜

 
シェア 
LINEで送る

日本サーフィン連盟三重支部長 「夢を語る」
reimy0909
国府ノ浜に向かう県道に「浜村モータース」がある。そこが彼の仕事場だ。
2016年9月、日本サーフィン連盟(NSA)三重支部長、浜村昭雄さんに会いに行った。三重のサーフィン文化の未来を彼と話し合いたかった。
彼は志摩市阿児町国府で、自動車修理工場を営みながら、サーフィン文化発展のため尽力されている。そんな彼と、国府ノ浜のテトラポッドを退かす事が出来ないものかと話が弾み、実際テトラポッドに登ってみることになった。
re5146875447_a5f7ec1db2_o
第七テトラ前のレギュラーに乗り、インサイドまで乗りつぐ浜村昭雄氏。彼は三重県のサーフィン界を担う三代目リーダーだ。
幻のグーフィーと呼ばる波が来た。
グーフィー波とは、岸から海を見て右に崩れていく波のことを言う。テトラポッドが敷設されるまでの国府ノ浜は、今日のポイントより波が立ちやすい地形だった。テトラポッドは波を遮断し、海底の砂の流れを不自然にした。その影響で海岸の砂は減り、テトラ沖に砂がたまり、サーフィンに適した波質が変わってしまった。また大ハマグリが以前は沢山とれたと言うが、今では生息しているのがテトラより沖になり、岸から捕れなくなったという。
reimy0899
仕事に追われている中、サーフボードを見せてくれた。彼は、Sシェイプの板に乗っている。
テトラは明らかに美観や生態系に悪影響を与えている。浜は以前の海岸より小さくなり、肝心の侵食を止める事も出来ていない。津波などの防災効果も見込めないと浜村氏と話が一致した。そもそも国府の浜になぜ、テトラポッドが敷設されたのか
02
昔はメインアウトからクラブハウス前(距離にすると200メートルを超える)と言われたポイントまで続くグーフィー波が到来した。この写真は幻のグーフィーを連想するブレイクだが、テトラさえなければと思うサーファーは数えられないほどいる。

過去にいろいろな噂を聞いた事はあるが、それを知る事ができる論文を手に入れた。記事はその論文の引用を使い書いていきます。続きは→http://otonamie.jp/?p=29326

2016年7月16日土曜日

“サーフィン女子とsurftrip”そして台風1号が来る @ 国府の浜・四国

 
シェア 
LINEで送る

ISE LOCAL LOCATION
_IMY1362-2
大阪らしい場所を探すと心斎橋に行き着く。
大阪の都会で、ある女子サーファーの撮影をしている。「子供の頃からこの辺りはよく来ていました。」という街並みに、サーフボードを持った姿がしっくり馴染む。そんな彼女は、当たり前のように波が上がると志摩の国府の浜でサーフィンをする。

他県に生まれ育ちながら地元以上に三重の海を愛し、サーフィンのために伊勢志摩に移住をしようと考える人は少なくない。そんな中でも、若い女子は特に目立つ存在であり、また、モデルの仕事もしているという彼女が、なぜ日焼けしてまでサーフィンをするのか興味を持った。
_IMY1523
国府の浜テトラ前がホームポイントだ。
彼女の名は山本マナさん(25歳)。大阪の中心部に住んでいる。大阪での撮影後、彼女の友人でJPBA(日本プロボディボード連盟)佐藤友香プロと共に四国に向かい、現地でJPSA(日本プロサーフィン連盟)に所属する武知実波プロと合流し、サーフィンを楽しむ事にする。
_IMY2287
台風1号の南うねりにテイクオフする山本マナ。
そもそも、10代の頃から女子が一人で大阪から海に通っている姿を見て、親はどう思っているのだろう。そんな疑問もあって、私は実際に会いに行ってみたのだ。すると判明したのは 続きは→http://otonamie.jp/?p=20338